にほんブログ村 本ブログへ にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ にほんブログ村 本ブログ 古本・古書へ

2012年04月30日

2012年04月29日のつぶやき

fuukasanjin / 風花散人
微罪を実名報道するなと言ってる新聞記者がいるが、どのくらいからならOKなんだろうな。 at 04/29 22:38

fuukasanjin / 風花散人
ブログのタイトル、ちょっと変えてみた。おんなじのが幾つかあったので。 at 04/29 22:23

fuukasanjin / 風花散人
もう、いい歳なんだし、日本なんかに出稼ぎに来なくてもいいと思うんだけどなぁ。 at 04/29 19:46

fuukasanjin / 風花散人
ユリ・ゲラーは、フランス政府と組んで油田当てたんじゃなかったっけ。 at 04/29 19:45

fuukasanjin / 風花散人
せっかく気温が20度超えたのに、雨じゃがっかりだ。 at 04/29 19:43
posted by 風花散人 at 00:01| 北海道 ☔| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月29日

2012年04月28日のつぶやき

fuukasanjin / 風花散人
芥川龍之介は、こんなに幼い頃から写真を撮ってるんだから、やっぱり全然貧乏人じゃない。裕福な方。 at 04/28 03:07

fuukasanjin / 風花散人
芥川龍之介関係の肖像を見たい人は、こちらで確認をどうぞ。日本文学館http://t.co/jzLgiITE at 04/28 03:06
posted by 風花散人 at 00:01| 北海道 ☔| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月28日

芥川龍之介-若き日の恋と結婚-その七

芥川が自死する一月ほど前の、昭和二年六月二十日に書かれた「或阿呆の一生」の中に、何度か繰り返し現れる女性のイメージがある。
この女性は「月光の女」などと呼ばれ、何者なのかと、芥川亡き後、友人の文士たちや研究者が色々議論を交わしているが、結局個人を特定は出来なかった。
確かに、特定したところで芥川の作品や人格を高めたり貶めたりするものではないが、知りたく思うのも人情と言うものだろう。以下にその箇所を抜粋してみる。

*  *  *

十八 月

 彼は或ホテルの階段の途中に偶然彼女に遭遇した。彼女の顔はかう云ふ昼にも月の光りの中にゐるやうだつた。彼は彼女を見送りながら、(彼等は一面識もない間がらだつた。)今まで知らなかつた寂しさを感じた。……

二十三 彼女

 或広場の前は暮れかかつてゐた。彼はやや熱のある体にこの広場を歩いて行つた。大きいビルデイングは幾棟もかすかに銀色に澄んだ空に窓々の電燈をきらめかせてゐた。
 彼は道ばたに足を止め、彼女の来るのを待つことにした。五分ばかりたつた後、彼女は何かやつれたやうに彼の方へ歩み寄つた。が、彼の顔を見ると、「疲れたわ」と言つて頬笑んだりした。彼等は肩を並べながら、薄明るい広場を歩いて行つた。それは彼等には始めてだつた。彼は彼女と一しよにゐる為には何を捨てても善い気もちだつた。

 彼等の自動車に乗つた後、彼女はぢつと彼の顔を見つめ、「あなたは後悔なさらない?」と言つた。彼はきつぱり「後悔しない」と答へた。彼女は彼の手を抑へ、「あたしは後悔しないけれども」と言つた。彼女の顔はかう云ふ時にも月の光の中にゐるやうだつた。

二十七 スパルタ式訓練

 彼は彼の友だちと或裏町を歩いてゐた。そこへ幌をかけた人力車が一台、まつ直すぐに向うから近づいて来た。しかもその上に乗つてゐるのは意外にも昨夜の彼女だつた。彼女の顔はかう云ふ昼にも月の光の中にゐるやうだつた。彼等は彼の友だちの手前、勿論挨拶さへ交さなかつた。
「美人ですね。」
 彼の友だちはこんなことを言つた。彼は往来の突き当りにある春の山を眺めたまま、少しもためらはずに返事をした。
「ええ、中々美人ですね。」


三十 雨

 彼は大きいベツドの上に彼女といろいろの話をしてゐた。寝室の窓の外は雨ふりだつた。浜木棉の花はこの雨の中にいつか腐つて行くらしかつた。彼女の顔は不相変(あひかはらず)月の光の中にゐるやうだつた。が、彼女と話してゐることは彼には退屈でないこともなかつた。彼は腹這ひになつたまま、静かに一本の巻煙草に火をつけ、彼女と一しよに日を暮らすのも七年になつてゐることを思ひ出した。
「おれはこの女を愛してゐるだらうか?」
 彼は彼自身にかう質問した。この答は彼自身を見守りつけた彼自身にも意外だつた。
「おれは未だに愛してゐる。」

*  *  *

この四つの文章のうち、幾つかは秀しげ子の事で、幾つかは彼が昵懇にしていた芸者ではないかとも推測されている。三十の「雨」は、舞台としては帝国ホテルの客室だろうか。そして七年の歳月を共に過ごしているとなると、文子夫人と結婚して三年後あたりから、この女性と深い仲になり、死の直前まで続いていた事になる。

この女性は、まさか秀しげ子の事ではないと思うが、誰なのかは未だ謎だ。彼が愛した女性達は、芥川から貰った書簡類を死ぬまで大事に隠し通した事だろう。

昭和二年、芥川の心中事件の後、彼は友人の小穴隆一を誘って、可愛がっていた芸者の「小かめ」に会わせたいからと、春日と言う茶屋に出かけた。
芥川は自分のお気に入りの女性を全て小穴に紹介しておきたかったらしく、こんな事を言っている。

*  *  *
「二つの繪」小穴隆一

「もうこれで自分の知ってゐる女の、ひととほりは君にも紹介してしまったし、もう言っておくこともないし、すると……」
と、片山さん[越し人、松村みね子]、ささき・ふさ[作家、佐佐木茂索夫人]せい子[女優、谷崎潤一郎の最初の妻の妹「痴人の愛」のモデル]、小町園のおかみさん[鎌倉にある旅館の女将、芥川は結婚前から利用している]といったやうな芥川のいふ賢い女人の名をあげてゐた。
(中略)
芥川が僕に芥川の言ふ賢い女人たちの名をあげてゐるので、僕は麻素子さん以外にまたほかの女人たちに縋らうとする芥川の気持ちを感じた。さうして芥川は依然として片山さんを第一に頭のなかにいれてゐると見てゐた。片山さん、またはその他の女人たちのだれにもせよ、ホテルの繰返しをされるやうでは、芥川のためにも、僕自身もたまらんと思ったので、
「相談するなら小町園のおかみさんがいい。小町園のおかみさんなら大丈夫後日のまちがひもないし、ことによるとあの人ならいい知恵があるかも知れない」
「ほんとに君もさう思ふかね」
(以下略)

*  *  *

上記に上げた女性達は、芥川が一目置く女性という意味だが、小町園の女将は、愛人だったのではないかと考える人達も多いようだ。ただ、文夫人も彼女に相談する事があり「賢い女の人」と評しているので、女将の商売柄、その辺の事は弁えた交際だったのではないかという気もする。(私見だが)ちなみに女将は既婚者で、芥川より大分年上だったらしい。甘えるには丁度良い相手なのかもしれない。

芥川は小穴に薦められた事もあって、女将に会いに行ったが、結局彼の望みは「死にたい」という事だけなので、力にはなれなかったようだ。
友人の小穴も死にたくないと言うし、妻は、子供を残して一緒には死ねない、どんなひどい父親でも生きていて欲しいと泣いた。芥川は、もう一人で死ぬしかないと覚悟を決めた事だろう。

芥川は晩年、一度だけ、夫人と赤ん坊の三男を連れて、三人で湯河原まで一泊しに出かけた。心身共に疲れきっている芥川は、帰りの電車でシートに横になり寝てしまう。
そんな夫に文夫人は思い切って願い事を言ってしまう。「奈良に連れて行って下さい」と。芥川はちょっと間を置いてから「贅沢言うな」と言った。
夫人の無理な注文は、旅行の予定でも立てれば、少なくとも夫がその日までは生きる気になってくれるのではないかと言う願いだったのである。

夫に女のいる事にも、多分夫人は気づいていただろう。他所に子供がいる、と言われたらと不安になった事もあったし、夫の借りていた鵠沼の借家から、一人で田端の家に帰った時、緊張の糸が切れて泣き出した事もあったそうだ。

小穴に、芥川が帝国ホテルで心中をしようとしているから一緒に止めに行きましょうと急かされても、家の年寄りに相談してからと言って小穴をヤキモキさせた彼女は、夫亡き後も芥川家に留まり、伯母のフキを看取っている。彼女は、見事に明治生まれの文士の妻で芥川家の嫁であった。


夫人の言葉にこうある。

「私がもう少し現代的で、明朗に振るまっていましたならば、主人も楽しいことがあったのかも知れません。私たちの結婚生活は、わずか十年の短いものでしたが、その間私は、芥川を全く信頼してすごすことが出来ました。その信頼の念が、芥川の亡きのちの月日を生きる私の支えになったのです」

結婚前は、気恥ずかしいほど甘い恋文を彼女に送った芥川。釣った魚には餌をやらない主義だったのか。
結婚後も、若い「文ちゃん」に、もっと優しく出来なかったものかと思うのであるが、どうだろうか?
まぁ、男女の関係など、所詮他人には分からないのだけれど。

――おわり




追想芥川龍之介 改版 (中公文庫 R 35) [文庫] / 芥川 文, 中野 妙子 (著); 中央公論新社 (刊)

二つの絵―芥川龍之介の囘想 (1956年) [−] / 小穴 隆一 (著); 中央公論社 (刊)


posted by 風花散人 at 02:32| 北海道 ☔| 芥川龍之介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月27日のつぶやき

fuukasanjin / 風花散人
長生きはともかく、若々しくありたい。老眼止まれ。 at 04/27 00:21

fuukasanjin / 風花散人
晩飯食いそびれたなぁ。でも、少し飢え気味の方が健康で長生きするって言うしなぁ。 at 04/27 00:20
posted by 風花散人 at 00:01| 北海道 ☔| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月27日

芥川龍之介-若き日の恋と結婚-その六

大正十年の夏に中国より帰国してから、ずっと芥川は体調が悪く、自分でも「神経衰弱だ」と周囲に言うようになっていた。後に、小穴隆一に「支那で何度か死のうと思った」とも語っているので、この頃から精神的にはかなり脆くなっていたのだろう。

九月の下旬になると「龍門の四天王」の一人、南部修太郎を誘って湯河原へ湯治に出かけている。この南部修太郎は、慶応出の作家で、芥川に師事していたとは言え同い年である。
南部も芥川を凌ぐ作家になろうと気張っていたのだろう、彼ら二人の手紙のやりとりを読んでいると、南部はさかんに芥川の作品を批判し、それを逆にやり込めようとする芥川の応酬は、二人の間に悪意などは全く無いと宣言しながらも熾烈であった。

そんな南部を誘って、三週間近くも温泉旅館に滞在するのは、途中で退屈になったのか、芥川は他の友人達に遊びに来いと葉書を送り、結局小穴隆一も後で合流している。
だが湯治から戻っても、芥川の健康は回復せず、原稿に追われるプレッシャーのせいか、睡眠薬なしには眠ることもままならない状態だった。

そして年が明けて大正十一年、芥川は数え年三十歳だ。
彼の「遺書」には、三十歳を過ぎてから新たな情人は作らなかったと、書き残されている。過去に関係のあった情人とは、全て綺麗に清算済みなのかは分からないが。

南部修太郎とは、なぜか湯河原旅行の後、あれほど頻繁だった手紙のやり取りの形跡が無い。尤も、発表されていないだけの事なのかもしれないが、この大正十一年に、一通だけ、意味深長な手紙が残されているのだ。

*  *  *

大正十一年八月七日 田端から 南部修太郎宛

拝啓 原稿用紙で失敬する。君の手紙は有り難く読んだ。君はあの手紙を書いて好い事をした。しかしもっと早く書いてくれるとなほ好かった。
僕のした事の動機は純粋ではない。が、悪戯気ばかりでした事ではない。純粋でない為にはあやまる。悪戯気ばかりでない為にはいつか君にわかって貰ふ時がくるだらう。
人生と云うやつは妙なものだ。君と僕とはお互に何の悪感も持ってゐない。その癖かう云ふ事になるのだ。[五十九字削除]それだけは承知してゐてくれ給へ。
交を絶つ絶たないは僕がきめるべき事ではない。君の判断に一任すべき事だ。しかしお互の為に計れば喧嘩なぞせぬ方がよいかも知れない。

結婚する事は小島に聞いた。君の為にこの位喜ぶべき事はない。結婚後も君はあすこにゐるのか? もし君が絶交すると云はなければ、君らしい物でも祝はうかと思ふ。
わが友南部修太郎よ。結婚し、愛し、而して苦め。作家たる君に欠けてゐるのは、唯この甘酸窮まりなきリアルライフの体験ばかりだ。僕は今忙しい。毎日原稿に追われてゐる。おまけに僕の家は暑い。一方ならない苦しさだ。
君の返事を待っている。

七日                 餓鬼
南部修太郎様

*  *  *

芥川が「した事」とは何だろう? 「闇中問答」には、「――愛してゐる女の夫へ一切の事情を打ち明けてしまつた。」とあるが、この事と関係があるのだろうか?

芥川は、愛人であった(所謂ダブル不倫)秀しげ子が、南部修太郎とも通じているのを知った。芥川にとって、それは単なるスキャンダルではなく、大きな人生の躓きになったのだ。
彼は親友の小穴隆一に、知らずに南部と同じ女を愛したが為に死ぬ、と書付けを渡した事もあった。

芥川は表面上は南部に対し鷹揚に構えていたが、本心では、この三角関係(四角関係)を許せなかったのではないだろうか。
もし芥川が、秀しげ子の夫に手紙を書き、自分と南部と彼の妻の情交を洗いざらいぶちまけたとしたら、結婚間近の南部が芥川に絶交を宣言しても不思議ではない。

しかし、八月二十六日には、南部が芥川家に一晩泊まった旨を証明する、少しばかりふざけた証書を芥川が作って南部に送っている。
絶交は避けられ、二人は仲直りをしたのだろう。少なくとも表面上は……。


――つづく
posted by 風花散人 at 00:00| 北海道 ☔| 芥川龍之介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月26日

2012年04月25日のつぶやき

fuukasanjin / 風花散人
睡魔に襲われている。 at 04/25 20:22
posted by 風花散人 at 00:01| 北海道 ☔| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月25日

芥川龍之介-若き日の恋と結婚-その五

大正八年、妻とともに実家で暮らすようになった龍之介は、押しも押されぬ流行作家になっていた。
それとともに交友関係もどんどん広がり、女の影もチラホラ見え隠れするようになってきた。
「越し人」の片山廣子も、風邪で寝込んでいる芥川に見舞いの手紙を送っているし、「狂人の娘」の秀しげ子や平松ます子と知りあうのもこの年だ。

ここに奇妙な手紙が残っている。


*  *  *

大正八年 十月二十一日 佐佐木茂索宛

啓 手紙のなくなるのは不安だな あの中には君に封筒を書いて貰った礼や何かあったから余計僕も不安だよ
さういへば少しのろけてもゐたやうな気がする それを君以外の人間に見られるのは恐れるな
(中略)
丁度この手紙を出して一日くらいすると君の書いた封筒の手紙が届く筈だから返事を書くのは見合わせてくれ給へ
ぶつかると可笑しい
(以下略)

*  *  *

どうも、佐佐木茂索に封筒の宛名書きをしてもらい、それを女に渡して、芥川に手紙を送る際に使わせていたらしい。結婚してからの方がお盛んのようだ。

だが、この頃から彼の身体は、段々弱くなっている。元々、胃腸が弱く、学生の頃から薬を常備しておく神経質な所があったが、執筆に専念するようになってからは、しょっちゅう風邪を引き腹をこわしていたようだ。
これは年々深刻になり病歴は増え、死の直前まで続く長い長い苦しみの始まりだった。

翌大正九年の三月、長男、比呂志が生まれる。友人菊池寛の名前から名付けた。ちなみに次男、多加志は小穴隆一の名前から取り、三男、也寸志は学生時代からの親友恒藤恭から取っている。
そして、例のしげ子との仲が深まった年だと考えられている。
身内の不幸が続き、長男が産まれた事を、友人の恒藤恭に知らせる手紙には、女についての記述がある。

――不相変女にも好く惚れる。惚れていないと寂しいのだね。惚れながらつくづく考える事は、惚れる本能が煩悩即菩提だと云ふ事――生活の上で云ふと、向上即堕落だと云ふ事だよ。理屈で云へば平凡だが、しみじみさう思ひ当る所まで行くと、妙に自分を大切にする気が出て来る。実際惚れるばかりでなく、人間の欲望は皆殺人剣活人剣だ。――


しかし、甘美な恋の果実は、いざ口にした途端に腐りだした。その汚らわしい醜悪さに芥川は逃げ出し、翌大正十年の三月から七月の半ばまで、中国へ取材旅行に出かけて女の手を逃れた。
この取材旅行は、契約している新聞社の仕事なので、旅行記を書く前提の旅なのだが、出発直前から風邪を引き、熱が下がらないのを押しての無理な船旅であった。
上海に着いた途端に、また病状が悪化し、彼はそのまま地元の病院に三週間も入院する羽目になったのである。

現地の友人、知人が見舞いに来る中、実家にもよく葉書を書いた芥川であったが、養父宛てに送った手紙の追伸に、珍しく文夫人宛のものがある。

*  *  *

大正十年 六月十四日 芥川道章宛

(略)
二伸 文子雑誌に何か書いた由諸所の日本人より聞き及びたれどまだ僕自身は読まず
悪いことならねば叱りはせねど余り奨励もせぬ事とは存ぜられたし
山本瑤子よりは芥川比呂志の方利巧さうなり もう立てるやうになりしや否や

*  *  *

雑誌社から夫人へ、芥川の日常についてのインタビューかエッセイでも頼まれたのか? しかし、この当時彼は、自分の私生活を活字にするのを嫌っていた。妻がそんな事に関わるのも嫌だったのだろう。

芥川夫人は、若くして結婚したのと、元々の性分であろうが、とても従順な人であった。婚約時代、彼女に対し、文学も何も知らないでいいから、赤ん坊のような無垢な気持ちで来て欲しいと恋文を書いた芥川は、結婚してみるとそれが物足りなかったのだろうか。結婚してから恋をする相手は、世間知と文学に精通した大人の女ばかりであった。

晩年、芥川は夫人のことを、自分には勿体無いくらいよく出来た妻だが、彼女に欠点でもあれば(もしくはこれから欠点の生ずる可能性でもあれば)、もっと自分は気が楽だと小穴隆一に語っている。
そして「姉さん女房」を貰うべきだった、と何度も言ったそうだ。

しかし、もし「姉さん女房」を貰いたいなどと言ったら、芥川家の年寄りが許さなかっただろう。万が一、そんな女性と結婚出来たとしても、家の中を取り仕切っていた伯母のフキと上手くやれるとは思えない。
そして「姉さん女房」を貰っていたら、彼は「無垢な乙女」を妻にすべきだったと嘆いたのではないだろうか?結局は無い物ねだりという気がするのである。

*  *  *

「闇中問答」 ニ  昭和二年遺稿 芥川龍之介

或声 お前の家庭生活は不幸だつた。
僕 しかし僕の細君はいつも僕に忠実だつた。
或声 お前の悲劇は他の人々よりも逞しい理智を持つてゐることだ。
僕 ※(「言+墟のつくり」、第4水準2-88-74)をつけ。僕の喜劇は他の人々よりも乏しい世間智を持つてゐることだ。
或声 しかしお前は正直だ。お前は何ごとも露(あらは)れないうちにお前の愛してゐる女の夫へ一切の事情を打ち明けてしまつた。
僕 それも※(「言+墟のつくり」、第4水準2-88-74)だ。僕は打ち明けずにはゐられない気もちになるまでは打ち明けなかつた。


*  *  *



さて、これは一体誰の話なのだろうか……?


――つづく
posted by 風花散人 at 00:11| 北海道 ☔| 芥川龍之介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月24日のつぶやき

fuukasanjin / 風花散人
デコポン美味い。 at 04/24 21:11
posted by 風花散人 at 00:01| 北海道 ☔| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月23日

芥川龍之介-若き日の恋と結婚-その四

大正七年の二月に結婚した芥川夫妻は、三月の末に、鎌倉に在る小山家別邸を新居として借り、引っ越す事となった。
二人暮らしに部屋数五つの家は広く、庭には蓮池があり、芭蕉も植えているという風流な家であった。

伯母が時々遊びに来るものの、静かな二人きりの暮らしは平安で、文夫人にとって、この鎌倉暮らしが一番幸せな時代だったようだ。
芥川は、教師と作家の仕事を掛け持ちし、鎌倉、横須賀、東京を行き来し、時には出張もこなしながら、弱い体に鞭打って精力的に活躍していた。

そして、秋口になる頃には新婚気分も薄れてきたのか、どこかに外泊したアリバイ工作を、友人に依頼する手紙を書いたりもしている。

翌大正八年、勤めていた機関学校が生徒数を増やすにあたり、自ずと授業数も増える予定となった。
芥川は、これ以上教師の仕事に拘束されるのを嫌い、また鎌倉に居る事で文壇から遠くなる事も恐れて、大阪毎日新聞社と定期的に小説を書く契約を交わしてから教職を離れ、田端にある実家へ妻を連れて同居を始める。

芥川は新聞社から貰う給料の全てを養父に渡し、文夫人は舅から月に五円貰い、それで身の回りのものや衣類、子供が生まれてからは子供のもの、そして自分の小遣いに当てていた。

食費などは親持ちではあったが、五円で身の回り全てを賄うのは大変だったようで、ある日文夫人は思い切って夫に「お小遣いが少し欲しいのですが」と頼んでみた。
芥川は、他から入る原稿料に関しては、全部自分の自由にしていて、その金で本を買い、友人達と食事や観劇に出かけ、時には芸者屋で女遊びもしていたのだ。

しかし、夫は妻の遠慮がちな願いを無視し、文夫人はその後、夫に何かをねだる事はなくなった。
夫の作家友達が、着飾った夫人を連れて歩いている様子を垣間見て、家事と子育てに追われ、着飾る機会すらない自分の境遇を、虚しく感じた事もあっただろう。

ある日、芥川が自署にサインを入れ、文夫人の実弟(塚本八洲)に送ってやれと、一冊の本を夫人に渡した。
喜んだ夫人は、早速荷造りして郵便局に出しに行き、帰ってきた所を伯母のフキに見咎められる。「どんな事でも、自分に一応報告してから行動するように」と。

夫人が夜になってこの事を思い出して涙ぐんでいると、ふいに夫がやってきて「どうした?」と尋ねる。
まだ十九歳の若い妻は「あくびをしたら涙が出ました」と誤魔化してしまい、夫はもうそれ以上聞くのは止めた。何となく察していたのかもしれないが、彼には伯母に楯突いて、妻をかばう事は出来なかっただろう。

彼女は、自分の気持は胸にしまい込み、ただ夫の仕事の邪魔にならないよう、彼の仕事が上手く行く環境を作る事に、心遣いをする人だった。
芥川は、そんな夫人に「文子は芥川家のお嫁さんだよ」と言っていたという。自分の嫁と言うよりは「家」の嫁であるという事なのだろうか。

夫人はもっと長く、鎌倉の家で暮らしたかったそうだ。


――つづく
posted by 風花散人 at 00:29| 北海道 ☔| 芥川龍之介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月21日

2012年04月20日のつぶやき

fuukasanjin / 風花散人
時事ドットコム:男子にセクハラ、女性教諭免職=1年間、キスやメール−神戸 http://t.co/PVozzNfm うわぁ…市立高かい。 at 04/20 23:54
posted by 風花散人 at 00:01| 北海道 ☔| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
にほんブログ村 本ブログへ にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ にほんブログ村 本ブログ 古本・古書へ

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。