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2012年05月31日

2012年05月30日のつぶやき

fuukasanjin / 風花散人
国立国会図書館のデジタル資料は、なかなか便利だね。 at 05/30 00:25
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2012年05月28日

2012年05月27日のつぶやき

fuukasanjin / 風花散人
テロと言う自覚はあったのか上祐。 #NHK at 05/27 21:19
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2012年05月27日

2012年05月26日のつぶやき

fuukasanjin / 風花散人
カルマなんて信じるんじゃないよ。そんなものは無いのだ。 at 05/26 20:06

fuukasanjin / 風花散人
久しぶりに窓を洗うような雨が降っている。 at 05/26 02:14
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2012年05月25日

あの時代―芥川と宇野-廣津和郎 その三

芥川は歩きながら、廣津に宇野の変調を肯定し、かつ羨望するような事を言った。「若しあのままになったとしても立派だよ。発狂は芸術家に取って恥じゃないからね。――宇野もあれで行くところまで行ったといふ気がするよ」

廣津はその言い方に反感を感じた。彼にとってはそんな芸術家の美学より現実の方が重要だったのだ。
桜木町の通りで宇野浩二が老母と障害を持つ兄と妻の肩を抱き「これだけが宇野浩二の家族だぞ!  おうお! おうお!」と咆哮した時の光景が廣津の頭には生々しくこびりつき、万が一宇野が回復しなかったなら、残された家族はどうなってしまうのかと心配だったのだ。

「そんな事は、併し芸術家として止むを得ないよ」と芥川は痩せた肩を聳やかす。
「君はほんたうにさう思ふかね」
「ああ、さう思ふよ」
「僕は芸術家の死時などといふものについてはてんで考へないね――僕は自分の事を云ふと、家族の者が自分よりみんな弱いやうに思ふので、僕がみんなを見送ってやらなければならないと思ってゐるね。その為には八十までも生きてやらうと思ってゐるよ」
「ほんたうに君はさう思ふかね?」
「ああ、ほんたうにさう思ふよ」

切れの長い芥川の眼には微笑とともに、少しばかり皮肉な色が浮かんでいたと言う。
この後三人はカフェで一休みし、何となしに亀戸の私娼窟へ円タクを走らせた。車を降りて同じ場所を目指す若者の群れに混じり、同じような格子戸の並ぶ家々の覗き窓を冷やかしながら、ただ黙々と廓の中を歩いて回った。

歩き疲れて、お茶だけでも飲まして貰おうと格子戸の奥の女に声を掛けると、彼女は二つ返事で立ち上がって木戸を開けようとしたが、その姿を見た芥川は突然おお!と叫び一散にかけ出した。
慌てて追いかけてきた廣津に、芥川は大きく肩を震わせて言った。

「見たか、あれを! あれは幽霊だよ」
「さうかね。そんなにも思わなかったが」
「おお、気味が悪い。地獄だね、やっぱり、此処は」
廣津は一笑に付しかけたが、彼の真剣な怯え様を見て、幻覚を見ているのだろうかと思った。

宇野の錯乱を芸術家の良き終わり方と嘯いていた芥川も、心の底では自分の身に置き換えて恐怖していたのかもしれない。

三人は気を取り直し、別の娼家の二階でお茶だけ飲ませて貰って一休みし、女には手を付ける事無く雨の中を帰って行った。
廣津が芥川と会ったのは、これが最後となった。

後日、廣津は芥川が自死する二日前に、宇野の妻の元を訪れ、宇野に上げて欲しいと菓子折りと浴衣地を差し出したと宇野の妻から聞いた。。
そして芥川は、宇野から来た手紙を懐から出し、それを宇野の妻に向かって読んで聞かせて暫くの間泣いていたそうだ。
「あの時代」廣津和郎

 理知で武装して戦へるだけ戦って来た弱い正直な魂が、刀折れ、矢尽きて、泣き崩れてゐるやうな侘しい姿を、私は宇野の細君の話を聞きながら思ひ描いてゐた。芥川君は警句を吐いて人をやり込めながら、後では「実は自分がやり込められた」と思ってゐた人なのである。議論で人を負かしても、「自分が負けた」と思ってゐた人なのである。或る人達は芥川君の「嘘」を指摘して得意になったが、併しその「嘘」から手痛い復讐を受けたのは芥川君自身の正直な魂であった。寧ろ病的な程臆病な良心の持主だったと云へるだろう。 

宇野の入院中に芥川は死んだ。芥川の悲報を聞いても宇野の症状に変化は無かった。宇野は神経質で小心ではあったが、その神経には一種の強靭さを持っていた。そして回復して後、彼を心配した母を看取り兄を看取り、妻を看取ってから息子の母である昔なじみの女性と再婚した後、七十歳で逝った。
廣津もまた両親と息子、妻を見送り、言葉通り七十七歳まで生き、死の直前まで現役であった。


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下:若き日の廣津和郎 (上は片岡鉄平か)

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左:若き日の宇野浩二 右:葛西善蔵

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鵠沼の東屋にて 真ん中:宇野浩二 右:芥川龍之介 (女性は谷崎潤一郎の元義妹せい子)



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posted by 風花散人 at 23:01| 北海道 ☔| 読書日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月24日

あの時代―芥川と宇野-廣津和郎 そのニ

宇野浩二が錯乱する少し前の昭和二年、二月か三月の頃に、廣津和郎は歌舞伎座の廊下で、数年ぶりに芥川龍之介と会っている。廣津が煙草を吸っていると、いきなり芥川が寄ってきて廣津の肩を掴み「おお、君、俺はもうやりきれないんだ」と話しかけてきた。
痩せ衰えて蒼白な顔をした芥川は、廣津にこんな事を言ったのだった。

「今日鵠沼を出て来て汽車に乗ると、沿線が真っ赤に燃えてるんだよ」と彼は眼を大きく瞠って不思議な事を報告するやうに云った。
「え、何処か火事だったの?」と私は藤沢から横浜までの沿線の景色を思ひ浮べ、どの辺が燃えたのかと火事を想像しながら訊いたが、彼はそれきりその事には興味がなくなったやうに答へず、例の微笑を湛へた眼を少し伏せてゐたが、再び眼を上げると急き込んだ口調で他の事を云ひだした。
「君、義兄が自殺してね」
「ああ、知ってゐる、知ってゐる」と私はうなづいた。彼の義兄が近頃何か複雑な事情があって自殺したといふ事を、私は新聞で読んで知ってゐた。
「弱っちまふんだよ。あの後始末がまだついてゐないんだよ。あれも俺の肩にかかって来るし……その外にまだいろいろあるんだ……俺はもうやりきれないよ」
彼はしょんぼり肩をすぼめ、もう背負ひ切れないといふ表情をした。それが子供っぽくいたいたしく見えた。疲れ切ってくたくたになったといふ感じであった。



廣津は芥川に、我々はそういう義務を背負う年齢に来ているのだと慰めたが、それは自分自身に言い聞かせた言葉でもあった。
そして、芥川の言うことが何となく取り留めがないのを不審に思い、彼が自死を遂げてからは、この時の火事の話も幻覚だったのだろうかと回想している。

宇野浩二の精神状態が変調したのは、この年の六月の事だが、新潮社で一騒動起こした翌日、廣津は青山脳病院の斎藤茂吉を訪ね、宇野の家まで往診を依頼した。
廣津が茂吉の手が空くのを戸外で待っていると、そこに一台のタクシーが門を入ってきた。車から降りた夏羽織の男は芥川龍之介だった。

彼は宇野を訪ね、その様子に驚き、やはり斎藤医師に相談しようと病院を訪れたのであった。
廣津は、芥川が宇野の発病に怯えながらも、異常な好奇心を抱いているように見えたと言う。そして、宇野や廣津に、自分の持っている鎮静剤のヴェルナールを勧めたがった。

廣津が、どんなに眠れなくとも出来るだけ薬は飲まないつもりだと言うと、芥川は、不眠よりは薬を飲んで眠った方がいいと薬を押し付けようとしたが、結局廣津は受け取らなかった。このやり取りでも、二人の性格の違いが良く現れていると思う。

宇野浩二は斎藤医師の判断で、王子にある小峰病院に入院することとなり、彼の妻と廣津が付き添って病院へ行ったものの、診察の後で宇野は「入院を三日待って欲しい」と泣き出してしまい、改めて三日後に、今度は斎藤医師が付き添って入院させてくれたのだった。

肩の荷が降りた廣津と芥川、そして宇野の親友の画家の三人は、宇野の留守宅からぶらりと外へ歩き出した。


――つづく
posted by 風花散人 at 22:53| 北海道 ☔| 読書日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月23日のつぶやき

fuukasanjin / 風花散人
「これだけは聲を大きくして云ひたい 尠くともニヒルが人生の究極である筈はないと」廣津和郎 at 05/23 22:19
posted by 風花散人 at 00:01| 北海道 ☔| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月23日

あの時代―芥川と宇野-廣津和郎 その一

「あの時代」は廣津和郎の短編で、昭和の初めに彼の友人である宇野浩二と芥川龍之介が、奇しくも同時期に病んでいた様子を活写した秀作である。それは決して意地の悪いものではなく、温かい友情と思いやりが、知的で冷静な文章で綴られている。
廣津和郎の本も新刊書店ではなかなか手に入らないと思うので、読みたい方は図書館か古書店で探してみるとよい。

簡単に作者の紹介をしよう。
廣津和郎は明治の流行作家廣津柳浪の次男で、七歳で実母を失い十一歳で義母を迎えている。十四歳くらいから匿名で雑誌に文章を投稿し、時々は賞金を貰っていたので、文學に対する志向はあったようだ。
家の貧乏については余り頓着せず、どんな時も「お父様」を信頼し義母を支えた孝行息子であった。
ただ少年時代から常に不眠に悩まされるなど、少々神経過敏で顔色が青く弱々しく見えたそうだ。

長じて早稲田に進学し、懸賞小説に応募したり翻訳をする事で学資を稼ぎ、小説の同人活動も始める。卒業後は毎夕新聞社に勤め、宇野浩二と知りあうのはこの当時の事だ。

二歳年上の兄は大変頭が良かったが、義母に親しまず平気で嘘をつき、成人後は会社勤めも長続きせず、金が無くなると弟が居候している宇野浩二の部屋に転がり込み、弟の留守に彼の持ち物を質屋に持ち込んで、金を手にするや姿を消すようなトラブルメーカーであった。

そして、正義感が強く生一本である廣津和郎は、若気の至りで下宿の娘を妊娠させてしまい、愛の無い結婚をしてから、次々と同情なのか愛情なのか分からないような恋愛遍歴を続け、常に自分の両親、子ども達とその母親、自分と内縁の妻の三つの家計を背負い込んで苦労していた。
志を持って、二度ほど出版の仕事も興しているが、これも失敗に終わっている。晩年になって「松川事件(鉄道転覆事件)」の被告が冤罪であるとして彼はペンで戦った。

――――

彼が、複数の家族の面倒を見る義務を背負い込んでいた、という点が芥川龍之介と似ている。
芥川も養父母、実の父の家、自分の家族を気にかけ、そして後には姉の家族をも背負わなければならなくなる。また宇野浩二も、老母と知的障害のある兄、自分と妻、息子とその母親の面倒を見る必要があった。この当時、三人とも必死で原稿を書きながら、生活は一向楽ではなかった。

そして、芥川は病んで自殺し、宇野は錯乱したが復活し、廣津は耐えて乗り越えた。これは結局気性の違いなのだろう。
廣津は芥川とはそれほど親しくはなかったと記している。会えば親しく話をする程度だったのが、宇野浩二が錯乱した一時期だけより近しくなったと。

宇野が躁鬱病のようになった時、廣津は宇野の妻に相談を受け、精神科医の斎藤茂吉の元へ宇野を連れて行き、入院するまで面倒を見ている。廣津は義理堅く現実的な人間だった。これが立場が逆だったとしたら、宇野は廣津の為に何も出来なかった(しなかった)かもしれない。

斎藤茂吉による宇野の診断は、梅毒による脳障害との事だが、回復してからは滑舌が悪くなっただけで、特に痴呆などの症状は出ていないようなので、ちょっとこれはどうかな、と素人ながら考えてしまう。
それに、錯乱していても、廣津が宇野の部屋にある本などをめくっていると、宇野はパッと普通に戻り、何の異常もない文学談義を始めるのだから、やはり精神的なものだったのではないだろうか。

しかし、彼の錯乱が、彼の家族や廣津を悲しませたのは言うまでもない。
宇野と一緒に新潮社に行った廣津は、宇野が社員にアイスクリームや、ハムエッグとトーストを言いつけるのに困惑した。

 


「あの時代」廣津和郎 昭和二十四年脱稿

「おいおい、此処は新潮社なんだよ。洋食屋ではないんだよ。さういうものは帰りに神楽坂あたりでたべようぢゃないか」
「新潮社といふ事は知ってゐるよ。腹が減ったんだから仕方がないんだ!」と彼は肩をそびやかして癇癪声で叫んだ。
「いえ、お安い御用ですから、直ぐ注文いたします」と苦笑を浮かべた佐藤氏の子息はベルを鳴らして人を呼び、ハムエッグとトーストの注文をした。
 そこに最前の女事務員がアイスクリームを二つ持って来た。宇野はサジに獅噛みつくやうな格好で、そのアイスクリームを貪り食った。そして食ひ終わると、
「さあ広津、行かう」と云って立ち上がった。
「今君はハムエッグとトーストを頼んだんだぜ」
「一時にそんなに食べられるか!」と彼は再び肩を聳やかすやうにして私に向かって怒鳴った。

 
 

――つづく

posted by 風花散人 at 21:46| 北海道 ☔| 読書日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月21日

晩年の廣津柳浪

明治の頃、欧米の文學が日本にも入るようになり、学生や読書人はこぞって原書でそれらの本を読み、そして自分達も新しい文學を日本で作ろうと小説を書き始めた。

二葉亭四迷や坪内逍遥に続き、一躍人気作家になったのは尾崎紅葉で、彼は志を同じくする者達を身近に置き、硯友社という団体を作り、尾崎の自宅にも何人かの若者が書生として出入りしていた。泉鏡花などもその一人である。

廣津柳浪は、その硯友社に属していた作家の一人で、今はほとんど彼の作品を読む人はいないだろうが、江戸趣味と柔らかで情緒的な文章を書き、明治二十年代から三十年代くらいまでは非常に人気があり、永井荷風もその作風を愛し度々面会に訪れた。
青空文庫に二作品だけ公開されているが、この時代の作品にしては読み易い文章だと思う。

一世風靡した硯友社ではあるが、その後田山花袋などの自然主義派が台頭すると、浪漫な作り事の小説は、その人気を落とす一方となった。
当時、印税と云うシステムが確立していなかった為、文筆家は原稿を出版社に売ってしまうと、後は本がどれほど売れようと、己の収入にはならなかった。
その為、人気作家であった尾崎紅葉や森鴎外の遺族でさえ、主人亡き後生活に苦労したという。

廣津柳浪もそんな作家の一人であったのだが、彼は仕事の依頼が絶えた後も、自分の趣味に合わないものを書く気になれなかったらしく、ただ毎日文机の前に座って日を暮らした。
彼には妻と二人の息子がいたが、後に作家になる次男の和郎は、そんな父を疎むどころか、深く尊敬し愛していた。

廣津和郎の自伝的小説「若き日」に、こんな情景が描かれている。

*  *  *


「若き日」廣津和郎

父は一室に朝から晩まで閉籠ってゐた。大体が引っ込んでゐる事が好きな質で、私は子供の時分それは牛込に住んでゐた頃であったが父と一緒に外に出る事があると、父は人通りを避けて裏道ばかりを通ってゐたのを覚えてゐる。
通寺町とか神楽坂の表通りとかいふものが嫌ひで、さうした賑かな場所を遠くの方から迂廻して淋しい暗い町ばかりを選んでゐた。そして人とつきあふといふ事もあんまり好きではないらしかった。

筆を執らなくなるとその傾向が益々ひどくなって来て、部屋に閉籠ったきり今は外出もしなかった。太陽の光線を極度に嫌ひ座敷の障子を青い木綿のカアテンで蔽ひ終日陽の射さない暗い部屋の中に座ってゐた。たづねて来る人もなかった。

*  *  *


収入が途絶えても、父は何も書かず、かと言って他の仕事を探すわけでもなく、家の物を質に入れるなどして暮らしていたが、息子の和郎が早稲田に通う頃には電気も止められ、和郎は大学に行く交通費にも事欠いていた。
親孝行な和郎は、大学を卒業して就職したら、この廣津家の家計を一身に背負う覚悟でいたのだから感心だ。

子供の頃は快活だった和郎が、段々陰鬱な青年になってゆくように見えたのか、父は息子に彼らしいアドバイスをしている。

*  *  *


「若き日」廣津和郎

「どうだ、少し教会にでも行って見る気はないか。キリスト教はどうでも好い。それよりも教会には女が来る。少しお前は異性とつきあって見るが好い」
私が父のさういう心持をはかり兼ねて父の顔を見つめてゐると、父は苦笑に顔をゆがめながら私から眼をはづし、半ばひとり語のやうに呟いた。
「ほんたうをいふと芸妓でも好いんだ。併し俺にはお前に芸妓遊びをさせる金がない……」
私には父のいふ意味がよく解った。私も父の顔から眼をはづして苦笑を浮べたが、併し父の愛情に深く打たれないではゐられなかった。

*  *  *



現代の感覚で判断すれば問題発言ではあるが、若い頃遊廓に入り浸って原稿を書いていた父ならではの心配りではある。
尤もその後の廣津和郎は、父も驚くほどの複雑な女性遍歴を展開するのだが。

posted by 風花散人 at 22:34| 北海道 ☔| 読書日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月20日のつぶやき

fuukasanjin / 風花散人
こんな時間に飛行機が飛んでる音がする。 at 05/20 02:32
posted by 風花散人 at 00:01| 北海道 ☔| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月20日

2012年05月19日のつぶやき

fuukasanjin / 風花散人
模写は大事だな。 at 05/19 22:15
posted by 風花散人 at 00:01| 北海道 ☔| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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