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2012年06月30日

2012年06月29日のつぶやき

fuukasanjin / 風花散人
夏だし暑いし、人数増えれば増えるほど、夏祭りや花火大会の乗りで参加する輩が増えるから、適当なところで解散して吉だよ。 at 06/29 23:24
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2012年06月28日

2012年06月27日のつぶやき

fuukasanjin / 風花散人
もうコバエが湧いてる。いっぺん、バルサン掛けるか。 at 06/27 22:05
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2012年06月27日

大正時代のカフェー・パウリスタ

古新聞を片付けていたら、今年の4月26日読売新聞の「家庭面の一世紀」という記事に、明治44年銀座6丁目に開いた「カフェーパウリスタ」の事が書かれていた。
開店当時の宣伝文句が「鬼の如く黒く、恋の如く甘く、地獄の如く熱き」コーヒー。

ここは女給を置かず、若いボーイがサービスする硬派なカフェーで、当時の文士たちも、コーヒーとドーナツを求めて足繁く通った店なのだ。
現在は銀座8丁目に移転して、今も老舗の珈琲店として営業されている。

――パリを模したしゃれた店の2階に婦人席があり、平塚らいてうが率いた青踏社ゆかりの女性たちが集った。――
と記事にあった。

それで、ああ宇野浩二の「文學の三十年」にも、そんな事が書かれていたっけ、と思い出したのである。


宇野浩二「文學の三十年」四

 私が青鞜社の同人の何人かの顔だけ知ってゐるのは、この事は前に書いたが、銀座の(今の資生堂の)横町(その頃は、時事新報社があって、その向かひ)にあった、カフェエ・パウリスタといふ珈琲と菓子だけしかない喫茶店があって、その店に毎晩ほど出かけたからである。
 つまり、そのカフェエ・パウリスタに青踏社の連中が毎晩ほど出かけて行ったからである。さうして、どういふ譯か、別に文學談をした事もなく、四方山の話もした事もないのに、尾竹紅吉と顔だけの親しい知り合ひになった。それは、尾竹紅吉女史が、五尺六七寸もあるかと思はれる長身のためであったか(略)

 これが、たしか大正二三年頃であるから、今から二十五六年前になる譯であるが、その時分。私が、何時間ゐても、消費したのは、一杯金五銭の珈琲二杯と一個金五銭のドオナツであったから、合わせて金十五銭であった。これを思ふと、二十五六年の間に珈琲とドオナツほど物價の上がり方の少ないのは稀な例である、といふ事になる。
 かういう無駄話を書きながら、四半世紀前のカフェエ・パウリスタを心の中に描いてゐると、當時、私より一歳下であるから、二十一二歳であった佐藤春夫が、山高帽をかぶり、その山高帽に大變よく似合ふ洋服を来て、珈琲沸しの側の臺の前を横切るやうに通った洋風の伊達な姿を思ひ出す。さうして、この時の佐藤の姿を、ときどき思い出して、語り合ふのは鍋井克之である。

 又、この時分の佐藤の洋風の伊達な姿を、別の場所で見て強い印象を受けた廣津和郎とも、しばしば思ひ出して、語り合ふことである。

読売新聞の記事によると、大正時代の「ドナス」(ドーナツ)は、至ってシンプルな材料で作られていたようだ。
レシピが紹介されていたので、抜粋してみよう。

1915年(大正4年)1月24日家庭面に紹介されたレシピ

卵黄2個と砂糖大さじ2杯、バター大さじ1杯を混ぜ、牛乳大さじ2杯を少しずつ入れ、おおよそ10分ほどよくかき回す。
卵白を泡立てて加え、メリケン粉を大さじ10杯、ベーキング粉を茶さじ1杯加えた生地を板の上で伸ばす。
型抜きは茶筒の蓋を使い牛脂で揚げる。

以上なのだが、このままレシピ通りで作ると、ゆるくて伸ばすのは難しいらしい。油に直接落とすやり方で、何とかなるそうだ。
「甘い」というだけで十分贅沢だった時代の、素朴なドーナツの味がするのだろう。

大正時代、裕福な家庭でのこととは思うが、主婦が珈琲の生豆を買い、鍋で焙煎し、おやつにドーナツを揚げ、お中元にコーヒーカップを贈っていたとは、なかなか趣深いものである。




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2012年06月24日

2012年06月23日のつぶやき

fuukasanjin / 風花散人
非業の死をとげるとか、思いを残して死んだ先祖に限って、若宮として祀られるとされている点が窺える。【屋敷神の研究 直江廣治】 at 06/23 02:21

fuukasanjin / 風花散人
【屋敷神の研究】埼玉県秩父郡日野沢村(現、皆野村)では、各戸屋敷神としてのウチガミ様は、遠い先祖を祀ったものであるが、若い先祖が祟った場合は、若宮八幡宮として祀るという(略)すなわち神に祀られる先祖にも二種類あって、平穏に生涯を送った先祖は若宮にはならない。 at 06/23 02:19
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2012年06月22日

煤煙-森田草平と平塚らいてうの道行 その十


「私は思ひ違ひをして居た。死ぬ時は、互に手を取ってめそ/\泣き合って、溶けて行くやうな心持に成らなきゃ死ねない。私の爲に泣いて呉れる相手でなきゃ、手は下せない。」
 何か言ふだらうと思って待って居たが、女は突伏したまゝ返辭をせぬ。(略)
 やがて女は思出した様に、男の手を執って揺振りながら、
「私は行く、先生の被行やる所まで行く。」
「樺太迄も?」と、男は女の顔を見辺した。
「何處へでも。」
「死ぬ處まで。」
女は笑顔を見せて點頭く。

朋子は、はっきりと要吉に対する気持ちを言葉にする事はなかったが、彼と離れないと言う意志だけは伝えた。
彼らは、この晩も徹夜をし、朝一番で宿を立つと、人力車に乗って山の麓へ向かった。春三月の塩原の山は、まだ雪に閉ざされていて、とても山越え出来るような状況ではない。

特別な装備も持たないまま、山を超えようと北へ向かって歩き出した二人は、暢気にも途中で見かけた民家や、炭焼き小屋の主に、お湯を飲ませて貰ったりしながら、闇雲に雪山を登って行った。

そして歩き続けて日が陰る頃、二人はトヘトになって雪の中に座り込んでしまう。要吉は持参していたウィスキーを飲んで体を温めようとするが、もう歩く気力は湧かなかった。朋子は突然、要吉の手紙の束をここで燃やそうと言い出し、手紙にウイスキーを掛けてからマッチで火をつけるのだった。

朋子に対して、愛憎の入り混じった感情を抱いた要吉は、懐の短刀を山の谷間に放り投げてしまう。

「私は生きるんだ。自然が殺せば知らぬこと、私は最う自分ぢゃ死なない。貴方も殺さない。」
 二人は顔を見合わせたまゝ聲を呑んだ。天上の風に吹き散らされて、雲間の星も右往左往に亂れて見えた。女は又叫ぶ。
「歩きませう。最っと歩きませう。」
「うむ、歩きませう。」

二人は雪明りをたよりにして、風の中を行く。
歩いては雪に足を取られて倒れこみ、眠ってしまいそうになった時、要吉は朋子に、もっと歩こうと手を引かれてまた立ち上がる事を繰り返した。
そして、月の光が次第に朝の光に変わる場面で、この物語は幕を閉じる。

大正二年十一月二十四日 新潮社からの発行である。

*  *  *

さて、この雪山の道行であるが、森田草平は、体を温める為に飲んだウィスキーと、三日もの徹夜の疲れで寝込んでしまい、塩原の宿の人達が気を利かせて捜索に来なかったら、凍死していたかもしれなかった。しかし平塚明子は、ぐったりしている男を、もっともっと歩こうと、腕を掴んで急き立てていたのだから怖ろしい。

森田草平が事件の後、夏目漱石にかくまって貰い、この事件を小説に書くよう勧められて、朝日新聞に連載を始めたのは、最初に書いた通りである。元より、きちんとした仕事の無かった草平が、この「煤煙」によって、一躍文壇に踊り出たのは、流石漱石の慧眼と言ったところか。

そして、両親にこってり絞られた平塚明子は、この事件で潰れる事はなく、世間の注目を逆手に取るごとく、母からの出資を受けて、女性だけの文芸雑誌「青鞜」を創刊する。明子もまた、この事件をジャンピング・ボードにして自立の道を進む事になるのだ。

既に文壇の花形であった与謝野晶子らの協力もあり、そのスタートは華々しいものであったが、当時の文士達には概ね不評で、編集者である平塚らいてうや伊藤野枝の恋愛問題によって内部がこじれ、空中分解した後は、表紙の綺麗な雑誌だった程度の認識で終わってしまう。
平塚らいてうが、婦人活動に力を入れ始めるのは、青鞜を辞めて年下の画家と家庭を持って後の事である。

「煤煙」は、あくまで森田草平側から書いた「塩原事件」である。平塚らいてう側の視点に興味の有る方は「元始、女性は太陽であった」を読まれるといいでしょう。
自分は読まないけど。上下続完と、こちらも四巻有るらしい。


――完



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2012年06月21日

2012年06月20日のつぶやき

fuukasanjin / 風花散人
「ブログ更新しました」は止めた方がいいかな。 at 06/20 23:43

fuukasanjin / 風花散人
ブログの更新をツイッターに連携させると「ブログ更新しました」がブログに掲載されて、それがまたツイッターに「ブログ更新しました」とつぶやかれる悪循環。 at 06/20 23:42

fuukasanjin / 風花散人
【BC7アシュル・バニパルの時代メソポタミアガラスの処方】窯を築かんとするならば、幸運の月の幸運の日を求めて窯の土台から着手せよ。窯を築いた家屋には早産の胎児たちを入れよ。汚れたる者をして胎児らの前に踊らしむるなかれ。胎児らの前に犠牲を行うべし。 at 06/20 13:28
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2012年06月20日

煤煙-森田草平と平塚らいてうの道行 その九

夜汽車に飛び乗った二人は、一旦大宮で汽車を降りた。翌朝の汽車で東北へ向う事にして、駅近くに宿を探した。
座布団に座り、朋子は初めて自分の家や夜族について要吉に語るのだった。彼らは今まで、お互いの事をろくに知らないままに付き合っていたようだ。

宿の男が床を敷き、火鉢を下げてしまうと、要吉は朋子にもう休もうと声を掛けた。この言葉にはそれなりの意味があると思うが、朋子は頑なに自分は寝ないと言う。
彼女は家から、短刀と、要吉から受け取った手紙を持ちだしてきた。そして、家人宛てに置き手紙を残してきた。

 我生涯の體系(システム)を貫徹す。われは我がCAUSEに因って斃れしなり。他人の犯す所に非ず。
  三月二十一日夜
               眞鍋 朋

そして禅寺仲間である王子の友人にも一通

 拝啓、我が最後の筆蹟に候。今日學校に行きませんと申せしは、實は死すとの事に候。願わくば君と共ならざるを許せ。君は知り給ふべし、これは決して戀の爲人の爲に死するものに非ず。自己を貫かんが爲なり、自己の體系(システム)を全うせむが爲なり。孤獨の旅路なり。天下われを知るものは君一人なり。我が二十年の生涯は勝利なり。君安んぜよ。而して萬事を許せ。さらば――
 明治四十一年三月二十一日

朋子は自分の一生を自分らしく貫く為に死ぬのであって、恋の為男の為ではないと言い切っている。そして心中相手の男より、同性の親友の方が自分を理解してくれていると言い置いているのだからいい気なものだ。自己を全うしたくて死ぬというなら、自分一人で全てを決行すべきではないか。妻子ある男の袖を引いて、何を言っているのか。後々、この遺書を賛美した人達もいただろうが、気位が高く、死だの運命だのに陶酔したお嬢さんのお遊びにしか思えない。

寝ずに朝を待つ二人であったが、朋子は子供の頃の思い出話を始めた。

「何日かも姉が大切に飼って居た金絲雀を殺して仕舞ったことが有るんです。矢張七つか八つの頃でしたらう。何を怒ってだったか、今は記憶えて居ません。姉の居ない間に、鳥籠の中へ手を突込んで、金絲雀の頭へ留針を打込んだのです。二三度ばた/\と羽翼を動かした切りで、鳥は死んで仕舞った。血も出ないし、和かい毛が被さってるので、留針も分からない。到頭如何して死んだか知れずに仕舞った。今でも未だ私が殺したとは誰も知りますまい。
「今でも」と、要吉は息を詰めた。

怖い女である。
やがて一番鶏が鳴き、彼らは身支度を整えて駅へ向かい、一番列車に乗って北を目指した。そして栃木県の西那須野で汽車を降りると、人力車に乗って塩原温泉に宿をとった。朝一で出たのに、もう日暮れである。要吉は宿帳に本名を記すが、朋子はそれを見てにっと笑った。

夕食を取った後、要吉が朋子を温泉に誘うが、一緒に行くのは嫌らしく、彼と入れ違いに湯に入る。
部屋に戻ってきた朋子の洗い髪を美しいと思った要吉は、側にきた朋子を抱こうとするが、彼女は要吉に懐から取り出した短刀を握らせてこう言う。
「早く、早くして」と。

躰を許さず、愛しているとも言わずに泣くだけの朋子を膝に抱いたまま、要吉は次第に気持ちが挫けていった。
朋子は心中のやり甲斐が無い女なのだ。


――つづく



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2012年06月19日

煤煙-森田草平と平塚らいてうの道行 その八

夏目漱石の小説「それから」の六章には、主人公が新聞に連載している「煤煙」を読んで、自分と煤煙の主人公は全く性質が違うと感じるくだりが書かれている。
「それから」の主人公は独身だが、友人の細君に同情するうち本気で愛してしまい煩悶する。

「それから」夏目漱石

それを彼所迄押して行くには、全く情愛の力でなくつちや出来る筈のものでない。所が、要吉といふ人物にも、朋子といふ女にも、誠の愛で、已むなく社会の外に押し流されて行く様子が見えない。彼等を動かす内面の力は何であらうと考へると、代助は不審である。あゝいふ境遇に居て、あゝ云ふ事を断行し得る主人公は、恐らく不安ぢやあるまい。これを断行するに※(「足へん+厨」、第3水準1-92-39)躇する自分の方にこそ寧ろ不安の分子があつて然るべき筈だ。代助は独りで考へるたびに、自分は特殊人(オリヂナル)だと思ふ。けれども要吉の特殊人(オリヂナル)たるに至つては、自分より遥かに上手であると承認した。それで此間迄は好奇心に駆られて「煤烟」を読んでゐたが、昨今になつて、あまりに、自分と要吉の間に懸隔がある様に思はれ出したので、眼を通さない事がよくある。

漱石は、朋子こと平塚明子という変わった女については興味を持ったようだが、要吉と朋子の、あまり真剣ではないくせに、やたらと情熱的かつ盲目的な行動については、評価していなかったようだ。

*  *  *


要吉と朋子は、日を改めて、朋子が懇意にしている禅寺で待ち合わせる事を約束して別れた。
要吉は、以前朋子が自分には女の欲求(性欲)が全く無いと語った事を思い出し、その言葉と彼女の行動が全く裏腹な気がして、その心理分析を始める。

彼女は自分の肉欲の深さを内心では自覚していて、それを嫌悪するがゆえに「自分は女ではない、全くそういった欲求が起こらない身体だ」と言葉にする事により自分を誤魔化し、その言葉と行動のちぐはぐさが男を翻弄してしまうのではないか、と。

この分析は、あながち空想とは言えない気もする。
そして要吉は、自分が罪を犯してしまったら、後に残された女達はどうなるのだろうと思い、やおら愛人のお種の家を訪ねるのだった。
困った事に、この要吉と言う男は、自分の不幸な境遇に自己陶酔する癖があるらしい。よくよく自分が可愛く可哀想なのである。

お種の泣く姿が見たかった要吉の願いは破られた。お種は姉夫婦の家に身を寄せていて遠慮がちに生活していたし、要吉がこれから他の女と心中する気でいるなんて事を知るわけもないので当たり前だ。

決行の当日、要吉は下宿先のおかみさんに、遠出をするのでしばらく帰らないかもしれないと言い置いて約束の寺へ向かった。
朋子と落ち合い、さて決行の得物はどうしようと相談すると、朋子は自宅に短刀があるからと、一旦家へ戻って行った。要吉はウイスキーの大瓶を一本買ってから、田端の料理屋(待合?)で、朋子を待つ事にした。

そうして夜もすっかり更けた頃、人力車を飛ばして朋子がやってきた。もう後戻りは出来ない。


 朋子は終に親の家を棄てた。要吉は人の世に許されざる罪を犯した、あゝ、二人とも失はれた。
 女は男の腕に身を委ねたまゝ長く離れなかった。
「ぢゃァ直に。未だ終列車には間に合ふ。」
 朋子は頷頭いた。其儘二階を駆け降りて、戸外へ出たが、終列車は恰度凄じい音を立てゝ停車場へ着く。二人は轉ぶ様にして暗がりの坂を降りた。停車場の入り口へ着いた時、死ぬ場所と云ふことが此間際に成って急に頭へ泛んだ。
「山か、海か」
 要吉は聲に力を込めて叫んだ。
「山」と、女は一言答へた。


――つづく




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2012年06月18日のつぶやき

fuukasanjin / 風花散人
『ブログ更新』風花散人-風花草紙|http://t.co/tktTkJCe at 06/18 03:47
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2012年06月18日

2012年06月17日のつぶやき

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