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2012年10月30日

わらべうた

古書店で「日本の民話」というシリーズが、1冊100円で売られていた。立派なハードカバーの分厚い本が100円で売られているのを考えると、電子書籍とは高価なものだなぁと思う。

さて、その「日本の民話」の中から1冊、房総・神奈川編を買ってきたのだが、日本人なら馴染みの深い「花咲かじいさん」や「カチカチ山」が掲載されている。
タイトルや内容は若干違うし、アニメや絵本で知っているものと比べると、いささか残酷な場面が無いでもない。
悪いことをすれば、これほどひどい目にあうのだ、という戒めなのだろう。

そういった昔話以外にも、わらべ歌や数え歌が掲載されているのだが、これがなかなか面白い。
横溝正史の小説に「悪魔の手毬唄」という作品があり映画にもなったが、それは手毬唄の歌詞に合わせて殺人が行われる凄惨なミステリーだ。



昔のわらべ歌は、なぜあんなに暗い影を含んでいるのだろう。

武蔵の部に掲載されている「おんべ焼きの唄」を見てみよう。
おんべとは御幣のことで、どんど焼きと同じ意味のようだ。


*   *   *

「日本の民話 6 房総・神奈川篇」 企画・編集:未来社 発売元:ほるぷ 1974年

武蔵の部 「おんべ焼きの唄」

出さいなあ 出さいなあ

出ないもなあ ガニクソ

イッシャク ハッシャク

山が谷戸の子どもは

意地のわるい子どもで

かっかのつび まらはめて

とっとの肝いーろした

なぐれよ しめろよ

御幣(おんべ)よく燃いとくれ

松よく燃いとくれ

*   *   *


「肝をいーろした」の意味は解らない。言葉についての説明は無いのだが、一つ前の行など、ずいぶん禍々しい感じがする。
正月明け、しめ縄などを焼く時に歌ったものなのだろうか?

手毬唄や子守唄も、なかなか子供らしい残酷さがにじみ出ていて興味深い。
ホラー小説を書きたい人は、一つネタを漁ってみるのも悪くないかもしれないよ。



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posted by 風花散人 at 22:37| 北海道 ☔| 表現の彷徨 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月14日

秘帳-湯浅真沙子

芥川の暗い話が続いたので、ちょっと目先を変えて、謎の女流歌人のご紹介をば。

歌集 秘帳 [単行本] / 湯浅 真沙子, 林 あまり (著); 皓星社 (刊)



湯浅真沙子は、若い未亡人のアマチュア歌人だったらしいが、その経歴などは殆ど知られていない。

彼女と交流のあった川路 柳虹という詩人、評論家 が、彼女の死後に原稿を編集して1951年に「秘帳」の初版を発行している。
その序文によれば、彼女は富山出身で日本大学の芸術科に通い、最初は詩を書いていたが、後に短歌に転じたと言う。大正の生まれなのではないかと思うが、定かではない。

この「秘帳」の内容は、若い女性である作者自身の、赤裸々な性の謳歌を綴ったものが多く、発行された本は、珍しい女性の官能的な歌集と言う事もありよく売れたが、当局の指導も入り、若干の修正を加えて版を重ねた。

今現在は、官能的な歌集というのは珍しくないかもしれないが、面白いのは、彼女と夫との事だけではなく、彼女が十代に経験したらしい、女性同士の、しかもプラトニックではない同性愛について書かれた歌があると言う点だ。



 よりそひて抱(いだ)けばふるる乳なでて赤らむ顔をなつかしく見る
 
 いくたびいだき口づけ乳ふれてつひにかしこにふれにけるかな

 その乙女十七となるその宵の肌と柔毛(にこげ)のさはりよきかな



明治から昭和初期くらいまで、女学生同士の擬似恋愛的な交際を「S」と呼ぶ習慣があり、吉屋信子が「花物語」などを著している。
吉屋信子は同性愛者だったそうだが、湯浅真沙子はバイ・セクシャルだったのか?
もしくは、若気の至りだったのかは分からない。

posted by 風花散人 at 23:15| 北海道 ☔| 表現の彷徨 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月28日

スポールティフルな娼婦-吉行エイスケ

旧遊郭や昔のカフェの建物には面白い造形のものが少なくない。
そう言った建築物の写真集やルポも、なかなか興味深いのだが、現在も稼働中の所謂風俗店の建物には興味が持てない。

もう20年も前だが、仕事で同僚とススキノの奥まった所に建っているビジネスホテルへ行って、会議の下準備をする事になった。

住所と地図を確認しながら目当てのホテルに向かったところ、平日の真昼間なので、その界隈には人っ子一人いなかった。
急に道が開けて広くなったと思ったら、その広い道の両脇には奇妙奇天烈な建物が軒を連ねていて、同僚と二人であっけに取られてしまった。

例えて言えば、右の建物はルネッサンスロココ調で、左の建物はギリシャ神殿、その隣は中国の宮殿で、向かいには江戸城といったところ。
要するにソープ街に入りこんでしまったのだが、あの真昼間に見た、生き物の影の無い非日常的な空間は、ちょっとSF的でさえあった。

バブルは崩壊し条例も変わり、もうあんな建物は無くなっているのではないかと思うが、その後は足を踏み入れていないので分からない。

たまにネット上で、若い女性が「遊郭に憧れる」と書いているのを見かけると、どういう意味なのだろうと首を傾げてしまう。単なる懐古趣味なのか?
江戸時代の遊女の平均寿命は二十三歳と、何かで読んだ気がするが、そんな人生に憧れるとしたら、かなり奇妙ではないか。

さて、話は変わるが、前に書いた吉行淳之介の父親は吉行エイスケと言う名前で、ダダイストの作家だった。
昔、朝ドラで「あぐり」と言う、彼の妻(美容師)の人生をドラマ化した番組があり、確か野村萬斎がエイスケ役だったと思う。

エイスケは十代であぐりと結婚し、解り難い短編小説を幾らか書いて、あっという間に筆を折り、後は株などに手を出して若くして亡くなっているが、息子の淳之介の小説などを読むと、女房を置いて息子と旅行し、旅先で愛人と待ち合わせるような、世間的にはアレな人だったようだ。

彼のアバンギャルドな文体は、ちょっと面白く、そして良く分からない。
「スポールティフルな娼婦」は、まだ分かりやすい方かもしれない。
横浜のチャブ屋を舞台にした短編だ。青空文庫で全文が読めるが、抜粋してみよう。


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posted by 風花散人 at 00:30| 北海道 ☔| 表現の彷徨 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月20日

原色の街-吉行淳之介

「原色の街」は第二十六回芥川賞候補に選ばれた、吉行淳之介の短編小説だ。
この作品では賞を逃したものの、第三十一回芥川賞に「驟雨」が選ばれる。作者三十一歳、結核病院に入院中の受賞である。

吉行淳之介の名前は、徐々に忘れられつつあるかもしれないが、女優吉行和子の兄であり、妻と離婚しないままに女優の宮城まり子と長い内縁関係にあった事は、彼の作品を読んでいない方も聞いたことがあるだろう。
本妻、内縁の妻以外にも、愛人や恋人があまた存在したようだ。

「原色の街」も「驟雨」も、娼婦とその客との物語である。
読み比べてみると「原色の街」の方が、ごく短い話の「驟雨」よりドラマ性が強く面白いと思うのだが、客の心理描写に重きを置いた「驟雨」の方が、当時の文学賞向きであったのだろうか。

「原色」とは、娼婦街である赤線に溢れる、どぎついネオンサインや娼婦の化粧、派手な服装などを現している。
娼館に暮らす、美しく娼婦らしさのない頑なな女が、ある晩、泊まりに来た男に嫌なからかわれ方をした事をきっかけにして、様々に目覚めて行く。
一方、その若い会社員は、上司の勧めで、ある令嬢と見合いをするが、その相手の本質は娼婦より淫らだった。
彼らと、他の娼婦や客の人間模様を織りまぜて物語は進み、その結末は意外だ。



作家本人は、娼婦を主人公にした作品を書いてはいるものの、そういう所に行ったのは二三回しかないし、娼婦には触れたこともないそうで、娼婦も赤線も、モチーフとして使っただけで、書きたかったのは男女間の思いのズレと、細やかな心理描写だったのかもしれない。

文章に強烈な個性は無いが、微かに色っぽく、静かで内省に富んだ心理分析をするタイプの作家だ。
多分、今の若い人達にはまどろっこしく、わかりづらく感じる部分もあるだろう。

まぁ、何でもアケスケに分かりやすく表現すれば良いと言うものでも無いので、純文学志向の方には参考になると思う。
男が見合い相手の女性に感じる、愛のない冷たい感覚が良く分かるので、抜粋してみよう。


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posted by 風花散人 at 23:58| 東京 ☀| 表現の彷徨 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月18日

赤い帽子の女-黙陽

芥川龍之介は、数多くの短編小説を発表しているが、男女についての事を執拗に描写するような作品は、寡聞にして知らない。

しかし、一作だけ、芥川龍之介の手によるものではないかと論じられている官能小説がある。
「赤い帽子の女」というタイトルで、作者の名前は黙陽(かげろう)と言い、大正初期の性の研究誌「相対」に発表されたのだが、すぐさま発禁本となり、戦後に復刊された時は伏字だらけだったそうだ。

この「赤い帽子の女」の原本は、全国でたった2セットしか残っていない、正に幻の奇書なのである。

作者が芥川だと、はっきりとした証拠は無いのだが、当時彼が他の文化人や作家と共に、この「相対」の会員だったことと、相対の代表者の妻が、芥川もある女との性生活を相対に書いたことがあると語っていた為、こういう推測がされたらしい。

「赤い帽子の女」は、ドイツに滞在中の、しばらく女との関わりが絶えている日本人の男が、肉欲のはけ口を求めて、小柄で愛らしい赤い帽子の女に声をかけたところ、素人ながらあっさりと安い金で体を許す事を承諾し、森の中で一度、ホテルの部屋で一度関係を持つという、ただそれだけの話である。

通りすがりの言葉も分からない若い娘に、いきなり筆談で「1時間幾ら?」と尋ねるこの男の行動は非常識だが、女は食事代にもならない僅か30銭ほどでいいと答え、彼を森の奥に誘うのだ。

芥川の作風は緻密でディテールに凝った、考えぬいた短編が多いのだが、この「赤い帽子の女」は、描写は克明だが、創作としての物語性は殆ど無い。
文学者の中には、芥川の作品とは考え難いという意見も多く、未だにこの作品の作者は謎のままだ。

読んでみると、文章としては素人のものではないと思える。実際にドイツに滞在し、白人の女性と肉体関係を持った人間の手記のようだ。

もし、芥川が実際に白人の女性と関係を持ち、それを文章に仕立てるとしたら、もっと何か物語性を高めるための工夫や、気の利いた風刺、細やかな心理描写があるべきでは無いかと自分も思う。

文章を幾らか抜粋したいが、当たり障りの無い部分だけにするのでご勘弁を。


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posted by 風花散人 at 18:32| 東京 ☀| 表現の彷徨 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月07日

紛失した娘-空木恍太郎

画像-0026.jpg


前回書いたが「ラティラハスヤ」の後半に収載されている、日本のお色気小説「紛失した娘」は、ある村の祭りの夜に、村でも評判の美しい娘が姿を消し、その娘が再び姿を現すまでの一日の物語なのだが、どちらかと言うと物語の主軸になっているのは、村の名家の出身で、美丈夫、裕福な若い医者の女性遍歴である。

学生の頃、世話になった下宿の人妻から始まり、美しい妻、十七になったばかりの小間使いと、次々情を交わすが、なにせイイ男なので、誰にも恨まれず、複数の女性に慕われたまま、また新しい女性が蒲団の隅に座って声をかけてくれるのを待っている、といった具合だ。

誠に男にとって都合の良い話なのだが、かの男が金も地位もあり性格が良く、且つイケメンに限るシチュエーションであろう。

昔のお色気小説なので、表現は今から見ればだいぶソフトで微笑ましいとさえ思えるし、女と床に入ったあとは、さっくりと話しを飛ばし、朝になっているのが常である。

では、妻が病気療養で留守の折り、手伝いにきた十七歳の娘とうっかり一緒に風呂に入ってしまい、そのあと一緒に寝る話しを決めてしまったくだりから抜粋してみよう。
お楽しみ頂きたい。





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posted by 風花散人 at 23:46| 東京 🌁| 表現の彷徨 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月04日

地獄

明治、大正あたりの小説を読んでいると、今ではもう使われなくなった表現やことばに出くわす事がある。
意味がまったく違ってしまったものもある。

「地獄」ということばに、時々出くわすのだ。


森鴎外 青年 弐

「ええ。それがえらいと云うのです。地獄はみんなが買います。地獄を買っていて、己(おれ)は地獄を買っていると自省する態度が、厳粛だと云うのです」
「それじゃあ地獄を買わない奴は、厳粛な態度は取れないと云うのかね」

「そりゃあ地獄も買うことの出来ないような偏屈な奴もありましょう。買っていても、矯飾して知らない振をしている奴もありましょう。そういう奴は内生活が貧弱です。そんな奴には芸術の趣味なんかは分かりません。小説なんぞは書けません。懺悔の為様がない。告白をする内容がない。厳粛な態度の取りようがないと云うのです」

「ふん。それじゃあ偏屈でもなくって、矯飾もしないで、芸術の趣味の分かる、製作の出来る人間はいないと云うのかね」
「そりゃあ、そんな神のようなものが有るとも無いとも、誰も断言はしていません。しかし批評の対象は神のようなものではありません。人間です」
「人間は皆地獄を買うのかね」
「先生。僕を冷かしては行けません」


ある小説家と出版社の人間との会話だ。


「地獄」が娼婦や阿婆擦れをも意味していた時代がある。
妻が夫の妾に向かって「この地獄!」と罵ることもある。

地獄に落ちる女ということだろうか。
それとも男が地獄に引きずり込まれるという意味か。


【CD】名作を聴く(1)〜森鴎外/加藤剛(朗読) カトウ ゴウ
ラベル:森鴎外
posted by 風花散人 at 20:17| 東京 ☀| 表現の彷徨 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月31日

ジュリヤの青春の場合2

前回書いた「ジュリヤ青春」の書影なども載せておこうかと、追記することにした。
古い本なので、だいぶ傷んでいるし、元より紙の質が悪いので見た目が悪いのはご容赦いただきたい。

DSCF0098.JPG


裏表紙のカットの方が粋だが、本の内容とは全く関連性が無い。中年男に腰を抱かれた若い娘は、抜け目なく男のポケットをまさぐっている。

DSCF0097.JPG


昔の本には良くあったが、本文もイラストで飾られている。これは章ごとに変えられていて、絵の質はともかく凝った作りだ。今、こんな装飾は詩集でもなければ用いないだろう。

DSCF0099.JPG


ついでに、もう一つ、愛の凝った表現を紹介して終わりにしたい。男性を百合の蕾に例えているあたりが、フランスらしくて面白い。

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posted by 風花散人 at 13:46| 東京 ☀| 表現の彷徨 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ジュリヤの青春-ル・ニスモア

ジュリヤの青春 ル・ニスモア 昭和26年東京書院発行

作者のLe Nismoisについては不詳だが、19世紀後半の作家、ラシルド説、バルザック説、スタンダール説があるそうだ。
有名作家の匿名秘作は少なくないが、この物語自体は艶笑小説であって、短時間で読める軽い内容である。

母と二人暮しだったジュリヤという少女が、母の元に訪れる男たちと母の「仕事」を見てしまい、それをきっかけにして淫奔な人生に流れていく物語で、環境が変わる度に男女お構いなく関係を持つ様子を、時代がかった優美な表現で綴っている。
蛇や花の例えは現代でも生きている。ちょっと面白いので抜粋してみた。


十三章 古城の無言劇 抜粋

 しびれるような恍惚の靄の中で、私は一匹の金色の小蛇のうごめくのを意識しました。
 可愛い蛇は、ヴィナスの丘の草むらをすべり下りて、せわしそうに泉の中に這入りこまうとするのです。
 ヴィナスの泉は花の蜜のしづくをあびて、あふれているのです。私はもうこれ以上の刺激には堪えられそうもなかったのです。

 金色の蛇は、そんな私のためらいなどに容赦なく泉の中に入って行こうとするのです。
 蛇はしばらくの間、花の香をかいだり、蜜のすすったりしていましたが、やがてするすると身体をくねらせて、奥に入りはじめるのです。

 可愛い金色の蛇は、泉の水をあびると、見ちがえるほど輝きをまし、体に艶々としたうるおいさえ帯びて、胴を太くふくらませてきました。泉の水に生気をとりもどして来たのです。蛇の体の感触ははじめ冷たく、ひやりと身ぶるいをさせましたが、しばらくすると、私の体温にとけ込んで、肌の底に快い戦慄さえ伝えてまいります。

 金色の小蛇は巧みな身振りで胴をくねらせながら、奥へおくへと入りこんで来るのです。この歓びを何と表現したらよいでしょう。

(原文まま、一部新仮名遣いに変更)

小学生が読んだら、蛇の生態の話かと思うだろう。
posted by 風花散人 at 02:35| 東京 ☀| 表現の彷徨 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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